不思議なことですが、「幸福」を価値基準には生きてきませんでした。悩んだときは、考えた上で自分なりの「正しさ」を拠りどころとして、たとえ不幸になろうとも「正しさ」を貫くことを是としてきたように思えます。きっと、そのことが息苦しさや疲れを生んできたのでしょう。
仕事で駅に急ぎ、何気なく耳にしたチャリンと硬貨が鉢にはねる音。いまどき珍しい托鉢にする布施の音に、封印していた過去の記憶がよみがえる。貧しい母と子が托鉢の僧に十円の布施をし、手を合わせている。女の子は僧侶に「幸せをありがとう」と微笑む。あの言葉はどういう意味だったのだろうか?そんな心のスケッチを短編『十円の布施』で描きました。
実はこの話、心に棲む鬼を描いた小説の挿入話でした。昔話にある鬼退治を異なる者への偏見と正義という名の暴力とする比喩は自分の得意とする題材でしたが、迷路に入ったのか、途中で全く書けなくなってしまいました。鬼退治は正しくないという正しさを描くことが自己矛盾を招いたのだと思います。
かなり悩みましたが、残せる作品は少ない、心が欲するものだけ書いていこう!そう心に決め、書いていた原稿を消去し、もう一度書きたいものをということで鬼とは逆に描いていた托鉢の話をスピンアウトして幸せの情景を描きました。人は「正しさ」を求めると「鬼」になり、「幸福」を求めると「仏」になるのかもしれません。創造は時として「鬼」を求めますが、「幸福感」だけは忘れないようにしたいと思います。とても小さな作品ですが、転機となる作品かもしれません。
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